いろんな英才教育

勉強にしろスポーツにしろ、幼い頃から学んでいた者は強い。大人になってから新しい何かを始めようとしても、すぐにうまくはいかないものだ。

たとえばスタバ。だってあんなの子供のときなかった。いい大人になってからスタバと対峙した俺にとって、スタバのハードルは高いし、ギザギザしてる。飛び損ねたらケガをするから普段は近づかない。

でも少し暑くなってくると、フラペチーノが飲みたいのだ。外国に行くくらいの決心で入店、裏返った声で注文、震える手でお金を渡し、出来上がるのを気をつけの姿勢で待つ。緊張のせいで触手から大量の粘液が垂れてくる。

すぐ近くの席にはゆるみきった顔と姿勢の女子高生2人組。彼女らがスタバでここまでリラックスできるのも、スタバと出会った時期によるものだと思う。子供の頃からスタバに慣れ親しんでいる者にとって、スタバはただのカフェだし、週末はホームパーティなんだろう。

高校時代はロッテリアでサンパチトリオを食べていた俺が、やつらにかなうはずがないのだ。

同じようなことはプレステとかのコントローラにも言える。俺にはあんなにたくさんのボタンは使いこなせないけど、幼児のときにあれに触れて、以降いろんなゲームで使いこなしてきた人は、脳の造りが俺らの世代とはぜんぜん違うんじゃないの?

近い将来、ガンダムが造られたとき、パイロットは少年で、操縦桿はあのコントローラの形をしてるだろう。